ノルウェー観光とノーベル平和賞の政治的な要素

ノルウェーに行ったのはアイスランドの後。アイスランドはこちらを参照。「不思議な氷の国アイスランド①」「不思議な氷の国アイスランド②
ノルウェーではフィヨルドを見に行くか悩んだ。元々の予定では8-10月がヨーロッパに充てられる時間である。しかし、ヨーロッパは行きたいところが多過ぎて3ヶ月では全く足りない。結果、フィヨルドは去年ニュージーランドのミルフォードサウンドを見たからいいや!ということでスキップすることに。そうするとオスロ一択である。

オスロではヴィーゲラン公園に行った。中央の塔はFF6のラスボスまたはガンツの敵にしか見えない。

お目当てのおこりんぼうの像がどこにあるのか探したものの全然見つからない!ヴィーゲラン公園が広いことは分かっていたのだが、公園に行けば人だかりが出来ていてなんとかなるだろ!と思っていた。しかし全くなんともならない。ちなみにこの発想はライブ会場の法則として知られている。ライブ会場の最寄り駅で下車した後、それっぽいヲタの人を追いかけていくといつの間にか会場に着くという技として有名。

今回はその技が通じず、2時間くらいは公園内をうろうろしてしまった。しかしラッキーなことに売店で公園のガイドブックを発見。それを読み解くと公園中央付近にある橋の真ん中ら辺にいることが判明。それがこの子である。ふぅ。怒っているというか、泣いてる?

ノルウェーのごはんではトナカイやクジラの肉が有名。下記写真のクジラのステーキは牛に近い歯ごたえで、味もおいしかった!

トナカイは羊に近いお味。なので僕はちょっと苦手・・・一方でトナカイのカルパッチョはくさみが無かった。ちなみにノルウェー・他の北欧も物価高い!ランチだと東京の2倍以上は金がかかる。

コンチキ号とフラム号

以前イースター島に行った時に(イースター島 モアイへの愛、モ愛)、コンチキ号の話は聞いていた。ノルウェー人文化人類学者のヘイエルダールがイースター島民のルーツが南米にあるという仮説を実証するため、1947年にペルーからイースター島までコンチキ号という名のいかだで101日かけて漂流したのである。最終的にちゃんと着いたが、残念ながら現在ではイースター島のルーツは西側のポリネシアから、、という説が有力らしい。。

それよりもフラム号の方がドラマチック。フラム号とは南極点に一番乗りしたノルウェー人、アムンゼンが乗っていた船である。この時はイギリスのスコット隊と争っていたのだが、根っからの探検家でありプレッシャーもそれほどなかったアムンゼン隊と、厳格なイギリス軍人でかつ国の威信を背負ってしまっていたスコット隊とは機動力・ものの考え方で差があった。最終的にスコットは南極点には辿り着くものの(しかもそこでアムンゼンに先着された証拠を発見する!)、帰りの道で最終キャンプに戻ることが出来ず、チーム全員が死亡してしまう。死亡する直前まで日記が残っていて、切ない。そして余裕が無い行程、無用なプレッシャーは悲惨な結果を招いてしまうのだと改めて学んだ。

コンチキ号もフラム号もオスロに展示館があり、実物を見ることが出来る。

原油一本足打法とSWF

ノルウェーの主な産業は原油である。原油一本足打法なので将来を見据え、世界最大規模のソブリンウェルスファンド(SWF)を持っている。この作戦と同じことをやっているのがアブダビ投資庁、サウジアラビア通貨庁、及びクウェート投資庁。
ノルウェーGDPの20%強は石油関連であり、オスロ証券取引所も石油関連銘柄が多い。

僕は原油をトレードしていた時期もあるが、ムービングパーツが多過ぎてあまり得意ではなかった。ムービングパーツとは、OPECの動向だったり、中国の景気だったり、USにおけるシェールガスの稼働リグの数だったり。。。投資家としては分からないものには触らないのが一番。他にチャンスはたくさんある。

ノルウェーは1994年の国民投票でEUに加盟しないという選択をしたので現在も非加盟。通貨も同様にノルウェークローネはユーロにはペッグしていない。

人口の80%強をゲルマン系のノルウェー人が占める。最近は移民受け入れに厳格であり、デンマーク、フィンランドも同様。北欧ではスウェーデンのみがオープンな状況。これはオーストラリアもそうなのだが、移民反対を唱えている人も元は移民だったというケースが多い。主張としてはいまいちである・・・!

ノーベル賞

ノーベル賞はダイナマイトを発明したスウェーデン人、アルフレッド・ノーベルの遺言によって作られた。存命中に自分の死亡記事が間違えて出た際に「死の商人」と書かれていたのがショックだったとのこと。それが原動力になりノーベル賞構想に繋がって行く。僕が小学校の時に読んだ伝記ではもっと崇高な意義のもと作ったいうことになっていたが、、伝記なんてそんなもんだろう。

ノーベル賞には物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学賞がある。この中で経済学賞は1968年に作られた後発の賞であり、ノーベルの遺言では触れられていない。

6つの賞の中で平和賞のみがノルウェーでの選定、他はスウェーデンにおける選定となっている。ノーベルがなぜ平和賞のみノルウェーとしたのか、結局理由は良く分かっていないらしい。当時は同君連合(実質的にはノルウェーはスウェーデン支配下)だったので、ある意味抑圧されていたノルウェーの方が平和とは何たるか理解出来るだろう、、という気持ちがあったのかも知れない。この説を唱えている人も居た。

平和賞の政治的な要素

平和賞は非常に政治的な賞である。2010年、中国の共産党独裁体制に批判的な劉暁波に平和賞が出そうだぞとなった時に、中国政府はノルウェー政府に圧力をかけた模様。厳密にはノルウェー政府と選定委員会は切り離されていることになっているのだが、現実にはそうはなっていない。このことは僕は政府系ファンドにいたので良く分かる。残念ながら。

結局劉暁波に平和賞が出た後、中国はノルウェーからのサケ輸入を実質制限。サケ輸出が激減したノルウェーは困った。先程述べた様にノルウェーは原油以外の外貨獲得手段を見つけていかないといけないからである。最後は2017年4月にノルウェー首相が中国を訪問し、人権問題について触れないことで関係が復活。中国経済はかくも強力である。

平和賞以外の賞は功績への評価が完全に固まってから授与されるケースが多い。ノーベル賞における大きな失敗はロボトミー手術を考案したエガス・モニスへの生理学・医学賞授与だろう。ロボトミー手術は前頭葉の機能を外科手術によって失わせることで一部の精神的な病気に効果があるとされていた。確かに効果はあったのだが、副作用として感情が失われることも多かった。日本でもこの手術に関連して悲しい事件が起きている。

一方で平和賞は完全に結果が出てないタイミングから、期待を込めて授与されることもある。最近だとマララ・ユスフザイが有名。僕は彼女の受賞に関し異論はないのだが、期待を込めて、という点はやはり政治的なものだなと受け止めざるを得ない。平和賞は意味があるか、無いかと言えば意味があるだろう。でも政治的な要素を含むと言うことはよく考えておかないといけない。

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