文系と理系の狭間で泳ぐ投資家

以前も書いたが、僕は文系は理系に比べていい意味でも悪い意味でも幸せだと思っている。なぜなら文系の場合は、ある問題に対して、厳然とした答えがないケースが多いから。
例えば日本文学の解釈において「そういう考えもあるよね~」「それも面白いね〜」となるところ、理系の場合は答えが理解出来るか・出来ないかということになりがちである。

文系の中でも理系に近い経済学

さて、僕の身近にある経済学は文系の中でも理系に近い学問である。もう少し言うと、複雑な経済現象を読み解くためにサイエンス(理系)のアプローチを活用している。

なぜ文系にも関わらず経済学ではサイエンスのアプローチが適用しやすいのか。それは経済学の範囲では解くべき課題、つまり効用が明確だからだ。利益・リターンという数字で表しやすい尺度があるから、理系のアプローチが適用出来る。繰り返しになるが、文学の解釈においては尺度そのものが色々あり、数字で代替し難いので「あれもいいよね、これもいいよね」となりやすい。なおこれは、経済学と文学のどっちが高度か、という問題ではない。

使えない効率的市場仮説

現実の経済現象はとても複雑なので、経済学においては固定化した前提の中で物事を考えている。

例えば経済学の一分野としての金融において、効率的市場仮説という考えがある。「株価にはこの世の中にある、利用可能な全ての情報が織り込まれている」という考えである。学問としての金融では、その前提の中で市場の動きを分析する。

だが、実際株式取引してみれば直ぐ分かるが、効率的市場仮説は現実とは違う。株価が間違っていて、または情報の織り込みが遅れていて、市場が現実に気付くまで時間がかかるケースは多々ある。

・・・例えば、2015年6月に中国株式市場は大きく下げた。だが、僕は2013年頃から中国経済の調子が悪いと言うことが分かっていた。なぜか。投資先の中国支社の営業の状況が良くなかったからだ。
・・・しかし、2014年に世界で最も株が上がった国は中国であった。上海総合指数は50%超、上昇した。その後も上げ続け、2015年6月に市場参加者はようやく危ないと気付き、株価が暴落した。。。

市場は全然効率的でないし、情報は織り込まれていないケースも多い。つまり、頑張れば勝つチャンスはあるのである。
その中で投資家はどうすべきか。全戦全勝は無理なので、前も書いた様に試行回数を増やしてトータルでの勝ちを目指すのが一番である。これがリスクを減らすことにもつながる。

理系における文系的アプローチ

一方で、理系の研究の最先端はどうなっているのか。まず、学生が学ぶ範囲において、理系科目では明確な答えがあるケースが大半である。

だが、理系の研究の最先端においては答えがない。というか答えがないから研究を行うのである。

そして、MIT及びハーバードでそれぞれ脳を研究している筑駒の同級生達と話していると、結構文系的な話が多いなと思わされた。

まず、研究する対象を決めて、その後仮説を立てないといけない。そして対象の選定及び仮説設定はかなり恣意的である。研究者の決め(これをやりたい!証明したい!)がかなり入る。

そして、研究する対象を選ぶ上で、研究費が付くかという点も極めて重要。例えば現在、脳の分野では自閉症関連だと研究費が付きやすい。USで自閉症の定義が広がり、自閉症だとされる人の割合が急激に増えたことが原因。

(なお軽度の自閉症はほんとに病気かという議論もある。厚生労働省によると、自閉症とは以下の三つの特徴を持つ障害。
「1. 対人関係の障害」「2. コミュニケーションの障害」「3. パターン化した興味や活動」
しかし、成功した投資家や経営者は、3が顕著な気がするし、1.2.が当てはまる人も多く見られる。)

また日本だと沖縄が研究費が集めやすく、ホットらしい。なぜか?文科省ではなく総務省の管轄となっている部分があり、金の出やすさが違うとのこと。これも多分に政治的な話である。

研究者の成果・名声を左右する、サイエンスやネイチャーと言った雑誌に論文が掲載されるか否かも政治的な要素が大きい。教授のパワー、研究室の名声、編集者と仲がいいか、等で決まる。

上記の様に、理系においても文系的なアプローチをしないと勝てない。特に最先端の研究では答えがないため、決め打ちで仮説構築しなきゃいけないというのはよく考えたら当たり前なのだが、なるほどなと思った。
まさに投資家と一緒である。答えが無い中で仮説を立てて、進んでいかないといけない。

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