ドイツで訪問したのはベルリンとミュンヘン。ベルリンに滞在していたのは大分前で、2017年8/24-29。仕事でフランクフルトには何度も行ったことがあったのだが、ベルリンは初めて。行って分かったのは街がかなり広大ということ!
ホロコーストと総力戦の恐ろしさ
現代ドイツを考える上で、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストは避けて通れない。諸説あるが、約600万のユダヤ人が殺された。実はドイツ国内よりも、ポーランドとソ連の方が殺害された数が多く、それぞれ約300万人と100万人であった。今回の世界一周では日程上行くことが出来なかったアウシュビッツはポーランドにあり、ポーランド語ではオシフィエンチムである。ドイツ国外にもホロコーストの協力者はいたのだ。
なぜこんなことが起きてしまったのか??まずヨーロッパに元々存在していたユダヤ人に対する敵視がある。キリスト教徒からの反感だったり、ゲットーに押し込められていたはずのユダヤ人の経済的な成功だったり、、、反ユダヤ的な考えの人はヨーロッパに多く存在した。
それがナチスの優性思想と結びつき、始めはユダヤ人をドイツ本土以外の辺境に追い払っていた。しかしドイツの戦況が悪くなり、ユダヤ人を送り込もうと思っていたソ連を領土化出来ないということになった。結果、邪魔者は殺すしかないという訳の分からない理論に繋がって行く。第二次世界大戦の終わり頃、1944年にはドイツの敗勢は固まっていたが、ホロコーストは加速的に進めていた・・・。
僕が行ったベルリンからそう遠くないザクセンハウゼン収容所は今はほとんどの建物は壊されていてだだっ広い敷地になっているのだが、シーンとしていて恐ろしい。そしてユダヤ人のみならず、ナチスに反対した政治犯、ジプシー、身体が不自由な人、同性愛者、精神が不安定な人、も強制収容、殺害の対象になっていた。
イデオロギーが行き着くところまで行き着くと歯止めが効かなくなるのだなと感じた。ハイネの言う通り、始めは本を焼き、そして人を焼く・・・。
そしてドイツ博物館やドイツ歴史博物館で感じたのは、あくまで兵隊同士が戦う近世までの戦争と違い、総力戦になると市民は工場で働くので、工場を叩くのが基本となり、結果として市民も戦争に巻き込まれるということを実感。この恐ろしい経験を基にして今のEUが成立し、平和を維持して経済成長を図ろうとしているのが良く分かった。
ルターと宗教改革
あとドイツに来て改めて思ったのは宗教改革に取り組んだルターは偉大だなということ。当時、カトリック教会の権威に楯突くというのは大変なことだったと思う。そして自己批判の精神、プロテスタンティズムが資本主義を構成する一部になっている(注:マックスヴェーバーは全部とは言っていない)というのは興味深い。
ドイツ人の真面目さ、以前も書いた様に赤信号を絶対に渡らないところはプロテスタントの影響が強いと思う。日本人より真面目である。そしてドイツ経済の頑強さはこの真面目さに支えられている。
ドイツのインフレ嫌い
ドイツのインフレ嫌いは頓に有名である。近世における有名インフレと言えば先日書いたジンバブエか、第一次世界大戦後のドイツ、ワイマール共和国時代に起きたインフレだろう。インフレ→経済崩壊→ナチスの台頭という苦い記憶があるため、ドイツ中銀、そして今のECBはインフレにうるさい。一方でEUのドイツに次ぐ要であるフランスは金をばらまくべきという考えを持っている。
この二国の争いは常に起きていて、結果としてギリシャ危機の際には妥協策が適用された。ギリシャには緊縮財政を要求しつつ、資金サポートを行うという方法である。
ベルリンの壁
現在も残っている一部のベルリンの壁にはアートが施されている。その中で一番気に入ったのはDJキノコ。
しかしその他はあまいいな〜と思う絵はなかった。アートはやはりラテンの国の方がいけてる。
そしてベルリンの壁の厚さは思ったよりもなかった。でもこの薄い壁によりベルリンは分断され、東西は分かたれていたんだなと思うと不思議な気持ちになる。
ミュンヘン
ミュンヘンに行ったのは9/24-29。オクトーバーフェストに参加するためである。ビールの祭典、オクトーバーフェストはオクトーバー(10月)といいつつ9月からやっている。
しかし僕にとって誤算だったのはこのオクトーバーフェスト、色々なビールの中から選んで飲めるという感じではなく、僕が苦手な日本のビール(ピルスナービール)と同じ様なものしか供されないのである。日本のビールは苦くて飲めないお。。。
オクトーバーフェストの会場は遊園地みたいな場所。広大な敷地に様々なアトラクションがあり、その中に巨大テントが幾つかおいてある。巨大テントの中は簡単に言うと大学生の飲み会みたいなことになっている。思ったよりうるさいし、ベンチの上に立って騒いでいる人多数。そんな中、ビールの色々な種類の注文をとることは難しい。これしか選択肢はありません!って方が提供する側も楽である。
テントの中も外もドイツ民族衣装を着た人で溢れかえっていた。
民族衣装を着た人はドイツくんとドイツちゃんと呼ぶことにしましたよ。ってか寒くないのか??結構薄着やぞ。僕は寒がりなので服は4枚着ていたけど。。。
テントで供される料理はアイスバイン、スニッツェル、ソーセージ等。どれも美味しいのだが、ゲルマン系は料理が大味になりやすい。少なくともラテンのスペイン・フランスに比べて凝ってはいない。
あとミュンヘンからはノイシュバンシュタイン城にも行った。ここは確かに美しい、そして周りの紅葉も綺麗だった。