キューバの歴史を簡単に振り返る
ネイティブが住んでいた島を1492年にコロンブスが発見し、その後スペインが支配。ちなみに多くの国のラテンアメリカ(現在の中米及び南米)ではネイティブが住んでいた頃の文献が残っておらず(文字がないケースも多かった)、細かい歴史はスペイン到達後からしかないことが多い。
スペインによる支配が長く続いた後、1902年の米西戦争(アメリカとスペインの戦争)終了後に独立。しかしアメリカの実質支配下であり、傀儡政権が幾つか続き、バティスタによる独裁が強まると国内で不満が高まった。
その中でフィデル カストロは兵営襲撃を起こし一度逮捕されるものの、恩赦されメキシコに行き、ゲバラとも出会い、グランマ号というヨットでキューバに1956年に再上陸。その後ゲリラ戦を繰り広げ、1959年1月1日にバティスタは国外逃亡し、キューバ革命が成立。
革命成立後はアメリカの会社を含めた企業及び土地の国有化を進めるカストロ政権とアメリカとの対立が決定的になり、1961年にはキューバ革命は共産主義革命だったと遡って宣言。つまり当初は共産主義一色ではなかった!
ソ連との関係を深め、キューバ危機に向かう。核戦争は回避されたが、その後もキューバとアメリカの関係は悪く、ソ連に経済的に助けられていたため、ソ連崩壊後は経済的な苦境に。2015年にはアメリカと国交回復。カストロは2016年に亡くなり、弟のラウルが現在国のトップ。
なぜカストロは共産主義を選んだのか
キューバ革命後すぐはアメリカとも近かったし、ゲバラはマルクス・レーニン主義思想が強かったものの、カストロは共産主義一色ではなかった。ちなみに革命時点でカストロは32歳、ゲバラは30歳だった。僕より若い!
しかしカストロは、革命前の独裁者たるバティスタを支持していたアメリカは嫌いだったし、アメリカに搾取されていた構造を変えるにはキューバにあるアメリカ企業の国有化しかないと考えた。加えて当時はまだ東西対立という軸が明確で、ソ連も崩壊するとは全く考えられていなかった。そうすると共産主義を掲げてソ連に寄り添うのは自然な流れである。
なんだか遠い国の話の様な気がするが・・・1960〜70年代には日本でも同様の動きはあり、共産主義革命で日本及び世界を変えようとしていた若者は多く居た。しかし、彼らは内ゲバ(内輪での処刑)に走り、組織は自壊し、最後は無理やりハイジャックや浅間山荘等の事件を起こした。が、皆さんご存知の通り失敗した。
キューバとは違い、独裁者に支配されていたわけでもなく、経済的に困窮していたわけでもなかった日本では共産主義革命は一般の人の支持は得られなかった。
カストロが他の共産主義の指導者と違ったのは、共産党内部の粛清をそれほど行わなかったことと、自身の偶像崇拝を嫌ったことである。これはスターリンや金日成と比較すると分かりやすい。
でも前政権たるバティスタ派は徹底して処刑したし、国内の思想犯やジャーナリストも沢山投獄・処刑している。これに関連して興味深いのが、アメリカ発の記事だととんでもない独裁者だという評価が多く、他の国だと毀誉褒貶があるという違いがある点。
戦時中と戦後のトップの役割
結果だけ見るとキューバ共産党の経済運営がうまくいったとは言えない。現状は前回の記事で書いた通りである。発展は止まっているし、とにかくものがない。キューバから逃れた移民・亡命者も多い。
カストロは戦時中は優れた手腕を発揮したものの、戦後は戦時ほどではなかった。これは、企業において、戦時中と戦後のCEOで役割が違うという話と似ている。同じことはThe Hard Thing about Hard Thingsの中でベン ホロウィッツが言っていたし、元日産COOかつ産業革新機構CEOたる志賀さんも同様のことを言っていた。
どういうことか。企業において戦時とは、財政再建中や合併等の一大イベントが起きている最中で、戦後とは日々のイベントはない中でどうやって成長するかを模索する時期である。
戦時中と戦後では、CEOに要求される能力が違う。戦時中は細かいことに固執するよりも、とにかくスピードが重要である。ざっくり言うとトップダウンで進んでいかないといけない。刻一刻とものごとは移り変わっているからである。
一方で戦後は色々な意見を聞いて細部まで検討して、その中でスピードも勘案しながら進んでいかないといけない。ボトムアップが重要になってくる。
これは僕の投資先でご一緒させて頂いたCEOの方々についても同じことを感じた。変化や混乱の時期に強い人が安定した会社で同じ力を発揮することは難しいケースが多い。
カストロは正に戦時中が得意な人だったのではないかと思う。
ゲバラはなぜキューバを離れ、ボリビアで処刑されてしまったのか
まずゲバラは理想主義者であった。勿論革命を起こすためには理想が必要で、理想実現のためにはどうするかを考えないといけない。しかし革命後も自身の理想、ラテンアメリカの自立を追求したため、ソ連の反発を招いてしまった。これはゲバラがキューバ出身ではなく、アルゼンチン出身というのも関係していたと思う。
結果として自らキューバでの職を辞し、コンゴやボリビアで革命を起こそうとゲリラ戦を主導したがうまくいかなかった。勿論ボリビアでは兵の士気がキューバに比べて低かったというのもあったが、連鎖的なラテンアメリカにおける共産化を恐れたアメリカのCIAが全力で潰しに来ていたというのも大きかったと思う。
ゲバラは勝つ見込が薄かったキューバで何とかなったのだから他の国も何とかなると思っていたのかも知れないが、実際はそうはならなかった。。
実際にカストロやゲバラが当時どう考えていたのかは分からないが、以上は事実に基づいての僕の推測である。
旅とは何なのか、再び
最近・・・旅とは「訪問する国または地域の歴史を知ることであり、現在を感じることであり、未来について考えること」だと思っている。
僕がプライベートエクイティ出身だからというのもあるが、投資及び経営と似ている。投資も経営も対象となる企業の歴史と現在を理解し、未来を考えないといけない。その結果は投資リターンまたは財務諸表という形で現れる。
何のために旅に出るのかを考えていた時と大枠は変わっていないが、歴史を理解すること+自分なりの意見をもつこと、の重要性を身にしみて感じている今日この頃。
コメント
「戦時中と戦後では、CEOに要求される能力が違う。」という点について、強烈に勉強になりました。色々と思うところがあるので、自分の中でこれについてしっかり消化しようと思う次第。
ゲバラはなんでキューバを離れ、ボリビアで処刑されたんだろうね。地元で共産党の幹部として裕福ではないにしろ充実した人生が歩めたのにボリビアに行って、理想主義者であるのは間違いない、或いは成功体験に引きずられて横展開が出来ると思ったか、あるいは、自分の中の理想という大義名分の下で戦闘を行うのが単純に楽しくて仕方が無かったとか
もっと歴史を勉強しようと思いました。あと「チェ」をもう一回観ようと思いました。正直面白い映画ではなかった
戦時と戦後は本当に違うんだよね、自分がどっちが得意かを意識して、苦手な分野は補える人と一緒にやるべきだと考えてる。
ゲバラは戦闘は嫌いではなかったんだと思うんだよね。実際バティスタ派の処刑を主導したのはゲバラらしい。でも、それよりも共産主義革命と、ラテンアメリカの自立という理想が先行し過ぎて、ソ連に睨まれたのが大きいと思う。当時のキューバはソ連なしにはやっていけなかったので。あと政権内の確執かな。
チェっていう映画は知らなかったわ。有名だけどモーターサイクルダイアリーズの方が面白い気がする。